005:サラダ 雨の日のサラダが好きだ ねえせんぱい 水が滴るラオスに行こう
「その感情の起点を求め、」
「その感情の行先を欲す」
「その苦悩はいまだ君に巻きつき、」
「水のようにまとわりついて離れない。」
これは高校時代に書いた戯曲「カソケク」の一節です。
双子の姉と相愛の関係にある少年モトキについての台詞なのですが、
それはともかくとして、これ以来「水」という言葉の持つ不思議な力が離れずにいます。
それこそ、「まとわりついて離れない」のです。
ただし、水ってまとわりついてはなれないものなのかという疑問もあるのですが。
水という言葉が想起させる様々な事象、そして記憶。
水はなにものにも染まないし、
なにをも溶かしつくす。
水は決してひとところに留まらないし、
ずっと同じかたちでもいない。
透明であるし、深くも浅くもみえる。
そして豊かな生をたたえていながら、時に多くの命を奪いつくす。
水って神秘的です。
シャブリ・グランクリュは水の奇跡。
「せんぱい」と私がその後どうなったかは、ひみつです。